田村晴樹・飯坂真紀二人展
田村晴樹・飯坂真紀 二人展
2019
6月25日(火)ー7月10日(水)
10:30ー17:30
Gallery AN
奥州市水沢中町23ー40
☎0197ー72ー6362
水沢に新しくできた「Gallery AN」で2人展を開催します。水沢は二人とも初めてなので私たちを知っていただけるよう、これまでの作品の中から自選した40点を展示しています。Gallery ANは髙橋さんご夫妻が昨年よりはじめた画廊で、私たちの個展の際に知り合い、声をかけていただきました。たくさんの方に見て頂きたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
1977 未完の銅版画
1977
17.8X23.5cm
銅版画
1977
21.5X14cm
銅版画
1977
23.5X18cm
銅版画
描き込むことと絵が出来上がってゆくことが一致しなくなり、仕上がりが見つからないまま放置された版の試刷り。
1977 小さな銅版画-2
1977
8.5X6.3cm
銅版画
1977
6.5X6.5cm
銅版画
1977
9.6X7.8cm
銅版画
1977 小さな銅版画-1
1977
銅版画
1977
8X4.5cm
銅版画
1977
10X7.3cm
銅版画
やや内臓的。
1976 旅行と入院
1976
10X13.2cm
銅版画
19760422
19.5X30.7cm
水彩
「One day」
19761201
36.7X30.6cm
水彩
197612
47X68cm
水彩
卒制が終わり少し気が抜けたような時期。前川先生のシルクロードツアーに学生数名と参加した。ちょうどシルクロードがブームでテレビや出版物などでいろいろ紹介されていた頃だった。イランとトルコ、ギリシャなどを回る2週間ほどの旅。初めての海外旅行で印象深い行程だったが暑さにはほとほと参った。参ったのは暑さのせいだけではなかったようで、帰国してすぐに目に黄色い黄疸症状が出て即入院ということになってしまった。急性肝炎ということで1ヶ月入院、実家で1ヶ月療養生活。なんとか元気になり学生生活に復帰した。ということでこの年は制作点数が少ない。水彩に使用している紙はマーメイド紙で、この頃は発色や色のつき方がとても気に入っていた。
1976 卒業制作展ー3
紙とインクは当初ブレダン紙とサクラの版画用インクを使っていた。その後の講義などでアルシュ紙とシャルボネのインクを使うようになり、学生時代はその組み合わせで制作していた。このアルシュ紙との出会いがその後の水彩画の仕事に続くなどとは思いもよらないのだが。
卒業制作時に限らずプレハブの版画室が学生生活のほとんどであり、アパートへは寝るとき帰るだけのような生活だった。版画室の学生に限らず大学のアトリエで制作している学生は皆ほぼ同じような生活だった。版画室ではカセットテープで音楽をかけながら作業していた。ビートルズや小椋佳のテープがよくかかっていて、作品のタイトルにビートルズの曲のタイトルそのままのものもあって、その影響をもろに受けていたようです。アトリエや版画室で過ごした日々はほんとうに楽しく懐かしい思い出で、深夜まで絶えず学生が出入りする不夜城のようなアトリエは自由な大学の象徴のようなものでした。
1976 卒業制作展-2
1976
36X36cm
銅版画
「Dear prudence」
1976
27.5X36cm
銅版画
「Go the way of all the earth」
1976
27.5X36cm
銅版画
ー卒展で憶えていること
○ポスターは私がデザイン担当だった。鏡の中に卒展の文字情報が写っているというもので教育学部校舎のトイレで撮影した。その写真をシルクスクリーン印刷屋さんに刷ってもらったと思う。その頃はパソコンもなく、少数印刷はシルク印刷全盛期で街にはシルク印刷屋さんが結構あった。学生が使うシルクの材料も画材屋ではなく阿部謄写堂や美濃スクリーン(?)など専門店へ買いに行っていた。
○同級生で同じ銅版画をやっていた菊地健一君は卒展には出さず、自治会館で個展を開いた。菊地君は学生時代から国画会の版画部門に入選していて、卒業後も毎年版画協会展に出品するなど銅版画を続けている。2019年も6月に盛岡で個展を開く予定。
○私たちの卒業年(1976年)から「特美卒制グランプリ」とでもいったらよいのか、良い作品を作った学生を教授陣が選び表彰するということが始まった。2019年の今年まで40年以上も続いていたのでびっくりしたのだが、その第1回目に表彰されたのが菊地君。