1976 卒業制作展ー1

 
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「オクトパスガーデン」
  1976
  36X44cm
  銅版画

 
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  1976
  44X36cm
  銅版画

留年にもかかわらず卒業制作をして、卒業審査には出さなかったものの卒業制作展には出品した。同級生と一緒に並べたい気持ちがあったのですね。これまでの集大成のようなつもりで制作、展示したのだが、見に来てくれた人たちにはどう見えたのだろうか。最終日に第一画廊の上田さんに電話してわざわざ見に来てもらったり、前川先生に少し認めてもらい嬉しかったことなどが記憶に残る。下の版画の街並みは戸村さんが八戸市街を撮影したもので、お願いして使わせてもらった。戸村さんには銅版への写真転写を教えてもらうなど、卒業制作でもまあ良く面倒見てもらいました。
 
 
 

MORIOKA第一画廊の上田浩司さんは、1970年代、特に版画の普及に熱心でした。それがちょうど、わたし達の学生時代と重なったことが大きかったと思っています。この一年前に、画廊で学生達の展覧会を企画して頂いて以来、お互いに上田さんの感想を求めていたんですね。そんな時にはいつも、学校では経験できない、特別な緊張感がありました。
[ 戸村 ] 2019/3/29(金) 午前 10:23

 

> 戸村さん
70
年代は版画が大きくクローズアップされた時期でしたね。
美術雑誌には新しいスタイルの版画が掲載されていて、ずいぶん刺激を受けたものです。第一画廊でそういった新しい作品を実際に見ることができたのはありがたかったですね。
2019/3/31
(日) 午前 11:00

 

1975 銅版画ー5

 
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エスカルゴ」
  1975
  15X15cm
  エングレービング、アクワチント

 
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  1975
  エングレービング
 

ビュランを使った作品。ビュランは西洋の彫刻刀で硬い素材にシャープな線を刻むことができる。木口木版や銅板に線を重ねて陰影や立体表現が可能である。下の作品は試作。自在に使いこなせるようになるにはなかなか時間がかかる。ビュランにも用途別に色々な種類があっていろいろ道具を揃えたのだが、修行というものが苦手で上達せず、結局この2点でビュランはやめてしまった。以後せっかく買ったビュランは錆びついたまま。

1975 銅版画ー4

 

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 1975
 39X6.5cm
 銅版画
 

 
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 1975
 20.3X7.4cm
 銅版画(一版多色刷)

 
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 「AとDに捧ぐ」
 1975
 12.5X27.5cm
 銅版画

 
一年下の後輩がバイトしていた広告代理店から大通りの菅原靴店のディスプレー用の作品として銅版作品を何点か買ってもらったことがあった。多色刷りがその中の一つだった。今見るとあまり綺麗な作品ではないけれど、その時は買ってもらえてとても嬉しかった。仲介してくれた後輩と代理店の担当の方はその後結婚されたが、残念なことにその後輩は病気のため若くして亡くなってしまった。この作品を見るとハスキーな声だった彼女のことをいつも思い出します。
 

1975 銅版画ー3

 
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1975
44.5X36cm
銅版画

 
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1975
20.5X26cm
銅版画

 
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  1975
  10.6X14.4cm
  銅版画 
 

銅板を加工するには様々な道具類が必要になる。銅版切り、線を引くためのニードルやビュラン、削るスクレッパー、潰すバニシャー。メゾチントの黒い地を作るためのベルソーやルーレット。地元の虹画堂に注文したり、上京して文房堂で揃えたりした。専門的な道具が揃うといっぱしの銅版画家にでもなったような気がしたものだ。
 

1975 銅版画ー2

 
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 1975
 36X30cm
 銅版画
 

 
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 1975
 27X27cm
 銅版画
 

 
銅を腐食するのに使っていたのは硝酸だった。劇薬なので現在では酸化第二鉄を使うことが多いようだ。確かに硝酸と銅が激しく反応すると刺激臭とともに黄色い気体が立ちこめることもあった。体に悪そうだと思ったが版画室ではおかまいなしで素手で硝酸液から銅版を取り出していた。腐食止めを溶かすのは石油やベンジンで取扱注意のものばかり。硝酸やベンジンは買うのにハンコが必要だった。今も思い出すのは上田三小路にあった間口一間ほどしかない古い小さな事務所の鎌田商会。硝酸はそこに買いに行っていた。もうお爺さんに近いおじさんがやっていて農学部などに薬品を納入していたのかもしれない。湿っているようで埃っぽいような、古ぼけていずれ消えていきそうな事務所の佇まいは今ではお目にかかることはできない風情があった。在学中に鎌田商会は無くなり、硝酸購入は上田通りにある北星化学へと変わった。
 

1975 銅版画ー1

 
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1975
29.5X36cm
銅版画

 
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 1975
 10.4X9.7cm
 銅版画
 

卒業制作のため大判の作品を作り始める。当時銅板は本町(第一勧銀の隣)にあった森政吉商店で売っていた。ピッカピカの銅板を老舗らしい古く立派な店舗に買いにゆくのもちょっとした楽しみだった。定尺365 × 1,200ミリで1ミリの厚さのものを切って使っていた。三千円位だったか、もう少ししたかな?上の版画の左右36cmは定尺の寸法でダイアン・アーバスの写真からのシルエットを使った作品。またまた気になる目がモチーフ。
 

1975 水彩画-5

 
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「五ミリの玉には五分の魂」
  19751208
  21X31.5cm
  水彩
 

 
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「遊べない広場」
  1975
  水彩
   個人蔵



たまたま持っていたマーメイド紙に透明水彩で描いた絵。絵具と水と紙の関係を意識して描くことを覚えた。水で溶いた絵具が紙に沁みて発色することにドキドキする。こんな気持ちで描いていければいいなと思った。